液晶の交代劇に見るEVの必然 『EVと自動運転』鶴原吉郎①

ガソリン車に代わる次世代車の主役となるのはEV(電気自動車)かFCV(燃料電池車)か。自動車業界と異なり技術の世代交代がひんぱんに起きている電機業界の先例にならえば、「新規参入企業でも勝てる可能性がある技術」こそ生き残るという。EV対FCVの場合ならば、EVである。

EVと自動運転』(鶴原吉郎著、岩波新書)は、そんな見方をしている。著者の鶴原氏は、日経BP社にいた技術ジャーナリストで、過去の例として、自身も取材していたブラウン管から液晶テレビへの世代交代の結末について書いている。

いまは、14インチクラスならば3万円程度で買える液晶テレビだが、1990年代初頭には、対角10インチの液晶パネルの製造コストが50万円以上もした。「当時、ある技術雑誌が「1995年には10分の1の5万円に下がる」と予測し、業界関係者が皆「とても無理だ」と思っていたにもかかわらず、結局このコスト目標は、1~2年遅れではあるが達成された」(77ページ)。

もともと、液晶をテレビ画面に使うことに否定的な意見が多かったという。液晶は「解像度が低く、発色が悪く、応答速度も遅く」、テレビには向かないと見られていたのだ。

そのうえ、日本の電機メーカーは、ソニーの「トリニトロン」、日立製作所の「キドカラー」といった独自のブラウン管技術を持っていたうえ、ブラウン管技術の延長線上に開発された新技術など、液晶を上回る優れたディスプレイも提案されていた。これは想像だが、当時のブラウン管技術者の間では、液晶技術を見下す雰囲気があったかもしれない。

しかし、液晶テレビのコスト低下は関係者の予想を上回るスピードで進んでいく。結果的に、ブラウン管を脇に追いやり、ほかの新型ディスプレイを寄せ付けず、ついに主役の座に就いてしまう。

画質の悪い液晶がなぜ勝てたのか

画質で液晶よりも優れていた様々な方式がなぜ敗れたのか、なぜ多くの企業が液晶を選んだのか。この疑問に著者は、こう答える。

「その最大の理由は、当時はチャレンジャーだった韓国企業、そしてその後に参入した中国企業に「ブラウン管技術の蓄積がなかった」からである。ブラウン管テレビの経験が生かせる技術で勝負すれば、日本企業に負けるのは分かっていた。だから、蓄積がなくても参入しやすい液晶に多くの企業が殺到し、その結果、液晶が勝者となったのである」(82~83ページ)。

このブラウン管テレビから液晶テレビへの移行は、エンジン車からEVへの移行に非常に似ているという。

エンジンとブラウン管の相似性については、エンジンは、「ブラウン管と同様に加工設備に多くの投資、ノウハウが必要で、それが一種の参入障壁になって」いる。

EVと液晶の相似性については、液晶が画質に難点があったように、EVは「HEV(ハイブリッド車)やPHEV(プラグインハイブリッド車)、FCVなどに比べて、航続距離は短く、充電時間は長く、高速での連続走行に現在のバッテリーは耐えられない」といったように技術的に欠点が多い。

こうして、中国は国家戦略として参入しやすいEV化を推進し、新規参入企業はEVで自動車産業に参入を果たす。数多い欠点も「いざそれが主流になってしまうと、不可能を可能にする技術革新が起こる」(83ページ)。

「エンジン車の次の主役はEV」とは感じている人は多いと思うが、こうして液晶の過去になぞらえて説明されると、ますますその感が深まる。

「参入しやすい技術が勝てる技術」という技術者にとっては、身も蓋もない現実ではあるが、「不可能を可能にする技術革新」の部分にかけるのも、技術者の醍醐味かもしれない。

FCVは、HEVやPHEVと異なり、エンジンを積んでいない車だが、その普及見通しについては、「参入しやすい技術が勝てる技術」という著者の原則が適用される。次回②でもうちょっと詳しく書きます。