普及しそうもない燃料電池車 『EVと自動運転』鶴原吉郎②

「エンジン車の次の主役はEV(電気自動車)」という見方を、①で伝えたが、②の今回は、なぜ次の主役がFCVではないのかを、引き続き、『EVと自動運転』(鶴原吉郎著、岩波新書)に基づいてレポートしよう。

FCVの普及が進まないであろう理由について、鶴原氏は4点挙げている。

第1に、燃料である水素につきまとう問題だ。天然には存在しない水素を製造するには天然ガスを改質するのが最も一般的だが、水素の製造・輸送段階まで考慮するとエネルギー消費が大きく、EVに比べて、それほど環境性能で優っているとは言えない。走行コストもEVに劣る。

第2に、水素の貯蔵技術の難しさ。水素を燃料として車載するタンクは大気圧の700倍の高圧に耐えねばならない。タンクには炭素繊維強化樹脂が使われており、製造コストが高い。大きくて、車内は狭くなる。

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コストダウンが難しい

第3に、水素を補給するステーションは、高圧で水素を蓄える必要があるため、設置費用が3~5億円と、ガソリンスタンドの2倍以上かかる。

第4に、車両価格の高さ。トヨタの「MIRAI」は700万円程度という価格を実現したが、普及にはさらにコストダウンが必要。しかし、燃料電池には貴金属の触媒が数十グラム使われていることや、車載タンクがコスト高なことから、技術的にかなり困難が伴う。

FCVのこうした難点は、よく言われているものだが、著者の目は厳しく、こう断ずる。
「燃料代はHEVやEVのほうが割安だし、室内や荷室は狭く、燃料補給は不便で、そのうえ車両価格は高い。ユーザーから見るとFCVは「買う理由のないクルマ」としかいいようがない」
(96ページ)。

だが、FCVへのこだわりは、オール・ジャパン的になっており、2018年2月20日には、トヨタ、ホンダ、日産自動車など11社で水素ステーションの本格整備を目的とした合同会社を設立、政府も、成長戦略の一環として「水素社会の実現」を掲げている。

FCVの普及を図るこうした動きについて著者は、ブラウン管技術にこだわって、液晶に出遅れてしまった日本の電機メーカーと同じ轍を踏んでいると見る。
「国内の完成車メーカーがFCVに力を入れるのは、この分野では技術でリードしており、他社をこの土俵に呼び込めば勝算が高いと踏んでいるからだ。この発想は、ブラウン管テレビの技術が生きる技術で勝負しようとした電機メーカーの発想に似ている。しかし、後発のメーカーから見ればFCVは製造に高度なノウハウが必要で、おいそれと参入できる技術ではない。モーターとバッテリーという汎用的な部品を購入してくれば製造できるEVのほうがはるかに参入は容易だ」(98ページ)。

官主導「水素社会」の危うさ

そして、著者は①で紹介した見方を再び論じる。
「繰り返しになるが、液晶が主流になったのは優れた技術だったからではなく、参入しやすく、後発でも追いつきやすい技術だったからだ。この観点からFCVとEVを見れば、液晶に近いのは明らかにEVのほうである」(同)

この本を読むと、企業は、ビジネスで勝つ(有り体に言えば、もうかる)には何が必要かに頭を使うよりも、「技術信仰(優れた技術にはいずれ勝利がもたらされる)」に心を奪われたり、そして多分、妙な「日本意識」にはまりやすいのでないかと思えてくる。

この本を読むと、もうひとつ、FCVには早いこと、サヨナラしたほうがいいとますます思えてくる。いまならまだ傷は深くない、大した決断ではないだろうに、トヨタにとっては、引っくり返るような決断で、できない相談なのだろう。加えて、政府が「水素社会」を掲げてしまったから厄介だ。

官が主導するプロジェクトは、第五世代コンピュータ、日の丸検索エンジンと、ロクな結果に終わっていない。憂鬱なことである。

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