ベルリンの壁崩壊から30年 当時はネットも中国も辺境だった<歴史を動かすものって>

ベルリンの壁が崩壊して今年でちょうど30年になる。1989年11月のことだ。米ソ冷戦体制の終結を象徴する出来事で、国際秩序がこれから大きく変わろうとしていることは目に見えていた。知恵者たちは、どう変わるのか答えを探った。その答えを30年後に生きているわれわれは知っている。

なぜ、そんな答えが出てきたのだろう。言い換えれば、この30年の歴史を動かし、いまの世を形作った要因は何だったのだろう。Kobaちゃんなりに考えた。異論も当然あると思うが、次の5つの要因ではないか。

①インターネットをはじめとするIT技術の進展
②グローバリゼーション(ヒト、モノ、カネが国境を越える)
③マネー経済の巨大化
④中国の経済的台頭
⑤エネルギー革命(新エネの普及とシェールガス・オイル生産)-
※エネルギー革命は、他の4つに比べると半分ぐらいのパワー

ここでは、インターネットと中国の経済的台頭に注目したい。その理由は後述するが、インパクトの大きさゆえの注目ではない。

この二つの要因は世界史の舞台の主役になった。インターネットは、情報革命だけでなくドイツのインダストリー4.0に象徴される製造革命も起こしつつある。それだけでなく、ネットに飛び交う膨大な情報が統計・確率的な推計を可能にし、それがAI(人工知能)の発展を促した(『クラウドからAIへ』小林雅一著、80~81㌻)。

AIの発達は脳科学進展の成果にも支えられているので、歴史を動かす要因としての①は今後、インターネット、IT技術というよりもハイテク全般ととらえた方がいいだろう。

中国は、2010年の名目GDPで、42年間にわたり二位だった日本を追い抜いた(日経新聞)。いまや日本の3倍の経済規模に近づきつつある。巨大経済パワーを背景にいずれ米国と本格的に覇権を争うことになりそうで、いま起きている米国との経済摩擦、南シナ海進出はその始まりと言える。米中が国際秩序を形作る時代になりつつある。

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30年前は主役になれそうもなかった

そして、この二つの要因に注目したのは、ベルリンの壁崩壊当時は、歴史の舞台の主役どころか、舞台に立つことすらできない存在だったからだ。冷戦終結後の世界がどうなるかを考え抜いた知恵者たちも、頭の中にインターネットと中国が占める場所はほぼなかったに違いない。

当時、インターネットが存在していなかったわけではない。コンピュータのネットワークは、米国防総省の研究所・ARPAから始まり、1980年代はARPA以外にもネットワークが誕生し始めた時だった。日本でも、1984年に村井純・慶大教授らが、東大、東工大、慶大を結ぶ日本で初めてのインターネット運用を始めた。しかし、それらは研究者のためのものであり、その存在を知っていたのはごく一握りの専門家たちだけだった(『IT全史』、中野明著、287~288㌻)。

恐らく、ネットを運用する専門家たちもネットの未来に確信を持てなかったのではないか。ましてや、それなりの知識を有する人も含め専門外の人がネットのインパクトを推測することは至難のわざだった。一般の人々がグーグルの影響力の大きさに気づき始めるには10年程度の時間が必要だった。知識を有する人たちでもそこそこの数の人が、そして既存勢力の人たちではほとんどがインターネットを軽視、敵視した印象が強い。新しい発明、発見の普及に既存勢力がブレーキをかけるのは、過去にも繰り返されてきた定型のパターンではある(こちら  20世紀になっても「空は飛べない」と学者たちは信じていた)。

もうひとつの中国は、ベルリンの壁、崩壊の5カ月前、1989年6月4日、天安門事件が起きていた。デモ隊への武力鎮圧で多数の市民の死傷者を出し、国内は混乱の極地にあった。

それが改革・開放政策の推進で驚異的な経済成長を遂げていくのだが、Kobaちゃん自身の記憶に残っているのは、90年代の後半だったろうか、日本に住むシンクタンクの中国人研究員から化学メーカーなど米国企業が猛烈に対中投資している話を聞いた。中国で変化が起きていると感じた。当時の日本企業の役員たちも同じような情報は伝わっていたと思うが、まだ中国産品に対して、「安かろう、悪かろう」の印象はぬぐえなかったのではないか。

その印象が偏見であることを実績で証明してしまったのがユニクロ(ファーストリテイリング)だった。1998年にユニクロ製のフリースが爆発的に売れた。縫製は中国産だった。価格は1990円。「安かろう、良かろう」の中国産品の登場で中国の製造力が見直されるきっかけになった。

「平和の配当」は小さな出来事だった

べルリンの壁崩壊に続き、1991年にソ連が崩壊し、米ソ冷戦は完全に終結するのだが、そのころ盛んに言われたのが「平和の配当」である。

平和の配当とは、これまで国防に注いでいた資金、技術を民生用に振り向けることで経済を成長させようという意味だった。ある程度、そういうことは起きたのかもしれないが、30年後のいまとなって見れば、歴史の本筋に沿った予想ではなかったことがわかる。

冷戦終結がその後の歴史にレールを引いたのは確かだ。前述②のグローバリゼーションは、終結しなければ進展しなかっただろう。しかし、歴史の方向を決める転轍手はほかにもいた。インターネット、中国である。冷戦終結時にはまだ海のものとも山のものとも判然としなかった存在だ。

ここまでの内容は、「ことほどさように歴史の行く末を予測するのは難しい」なんてことを結論づけるために書いたのではない。そうではなく、むしろこの30年を振り返ることで参考になることがある。それは、海のものとも山のものともわからない辺境に歴史の流れを決める要因が隠れていることがあるという事実だ。あくまでも「隠れていることがある」で、「常に隠れている」ではない。滅んでいった辺境はそれこそ無数にあり、歴史の中に埋もれていっただろうから。

辺境・中国の躍進ぶりを早くから見い出し、「BRICs」の言葉とともに世界に知らしめたのは、米投資銀行、ゴールドマン・サックスのエコノミスト、ジム・オニール氏だった。2001年のことらしいが、その時点では、前述したようにユニクロはメイド・イン・チャイナですでに成功していた。つまり、先駆的な企業・経営者→経済をウォッチする金融市場→メディアを通して社会に、という流れで中国の変化が伝わっていった。メディアも先駆的な役割を果たすメディアと社会に広く知らせる役割のメディアに分かれるだろう。

われわれの目にはまだ見えていないが、次の時代の流れを決める候補者がいまも辺境でうごめいているだろうか。国際秩序は当分、米中の枠組みで変わりそうもないので、うごめいているとしたらハイテクの世界でかな。