香港親中派の反対が、習政権を譲歩させたのか

6月に始まった今回の香港デモで、香港政府をリモートする習近平指導部が譲歩した背景には、習指導部が香港親中派を掌握できていないことにあるという。時事通信の西村哲也解説委員の指摘だ。

香港親中派の反対により、中国寄りの政策が挫折したのは2003年にもあった。「国家への反逆」などを取り締まる国家安全条例の制定に失敗したのだ。

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香港財界人たちの不信感

池田氏は、今回の方が事態は深刻かもしれないという。習主席は、市場の統制や国有企業強化を重視する保守的な政策を進めているが、香港親中派を支える地元財界はそれに抵抗を感じ、水面下で対立しているそうだ。

「逃亡犯条例改正は国際金融センター・香港の制度的基礎である「高度な自治」や法治を揺るがす恐れがあったにもかかわらず、習指導部がこれを公然と支持したことは、香港財界人たちの不信感を増した」。

条例が改正され、容疑者を中国本土に連行できるようになるのは、財界人にとってもレッドラインだったのだ。実際、17年には、中国本土出身だが、大物実業家の肖建華氏が中国工作員によって香港のホテルから拉致されている。香港の富裕層にとっても非現実的な話ではないだろう。

親中派と習指導部との間の齟齬はいまに始まったことではないという。そもそも現在の行政長官、林鄭氏が長官になったのは、習氏に忠実なタカ派の前長官、梁振英氏長官が選挙委で十分な支持を得られず、再選断念に追い込まれたからだ。梁氏は、14年9~12月の雨傘運動を強硬路線で乗り切った人物だ。しかし、「親中派の多くの選挙委員は習氏お気に入りの梁氏を支持することを拒んだ」。

この記事と樋泉克夫・愛知県立大学名誉教授の「検証!香港を支配するもう一つの正体」という記事を合わせ読むと、香港親中派の実像が見えてくる。「香港経済は、家族経営を柱とする一握りの不動産特権層に従属している。彼ら特権層は財力を背景に政治権力を手中に収め」てきたという。

香港に君臨する少数の家族とは、「李嘉誠、郭兄弟、李兆基、鄭裕、包玉剛・呉光正、カドリー(ユダヤ系)の6大家族に加え、その周辺で関連ビジネスを展開する新旧20家族ほど」の30前後の資産家族だという。

これら財閥家族は、北京の権力中枢との“蜜月関係”を保つことを心がけてきた。
「香港返還が具体化するようになった1980年代半ば、返還後の香港の姿に不安を抱いた香港の企業家たちは集団で北京に赴き、「改革・開放の総設計師」として中国に君臨していた鄧小平に“お伺い”を立てた。当時の最高実力者が「一国両制」「香港の50年不変」を言明したことから、彼ら企業家は中国が「過渡期」と期待した返還までの期間、北京主導の返還作業に全面的に従ったはずだ」。

雨傘運動のとき、習指導部は、学生らが実力行動に打って出る1週間ほど前に李嘉誠ら70人ほどの有力企業家で構成された香港工商専業訪京団を北京に招き、意思を疎通させていた。

雨傘運動は、香港経済の心臓部、中環(セントラル)地区を占拠し(Occupy Central!)、国際金融センターの機能をマヒさせることを狙った。財閥家族にとっては、許容できない動きだった。運動は、結局、広い支持を得られず挫折した。

支持得られなかった雨傘運動

雨傘運動については、学生側が一枚岩ではなかったことを、中国社会に精通している遠藤誉・筑波大名誉教授が指摘している(YAHOO!ニュース)。

学生デモには、授業ボイコットした学生たちのグループと、「金融などの中心街を占拠せよ!」と呼びかける「オキュパイ・セントラル(占領中環)」の二派があったという。

しかし、「金融街を占拠されたら香港経済は激しい打撃を受けるとして、香港の一般市民は猛反対していた。
学生たちが授業ボイコットという形を取ってデモをしている間は、熱い声援をデモ隊に送っていた香港市民は、オキュパイ・セントラルが主導権を握ると、いきなり冷めた目で占拠活動を見るようになる」

親中派の財閥家族から支持を得られないばかりか、一般市民の反対にあっては、孤立して挫折せざるを得ない。

習指導部にとって、普通選挙の実施など民主派の要求を受け入れるわけにはいかないだろう。国内に同様の要求が起きかねない。香港が中国共産党にとって「鬼っ子」になりかねない。

かといって、国際社会が見守る中で、強硬策は取りにくい。来年1月の台湾総統選挙も意識せざるを得ない。まずは、香港親中派と意思を疎通させ、デモの乱暴ぶりを際立たせることに熱を入れるのだろう。

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