図抜けた数学の才能が男を「天才の中の天才」にした

 2月に発刊された『フォン・ノイマンの哲学』(高橋昌一郎著、講談社新書)を読んだ。読む価値のある1冊だと思うので紹介しよう。

目次

「彼は経済学を根本的に変えてしまった」サミュエルソン

数学を武器に「知を越境」

京都原爆投下を主張

ノーベル賞学者が生涯劣等感

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「なぜ当時のブダペストにこれほど多くの天才が出現したのか」と問われたノーベル物理学賞受賞のユージン・ウィグナーは、「その質問は的外れだよ。なぜなら天才と呼べるのはただ一人、ジョン・フォン・ノイマンだけだからだ」と答えた(7ページ)。

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「経済学を根本的に変えてしまった」

「ノイマン式コンピュータ」と、その名を残すフォン・ノイマンは、1903年オーストラリア・ハンガリー帝国のブダペストに生まれた。20世紀初頭のハンガリーは、世界一の小麦粉輸出が豊かさをもたらし、ブダペストの経済成長率はヨーロッパ第1位だった。市内には、ヨーロッパ大陸初の電気式地下鉄網が張り巡らされていたという。

 教育もヨーロッパ最高峰で、そうした環境のせいか、「水爆の父」エドワード・テラー、「暗黙知」で知られる哲学者マイケル・ポランニーら、世間水準からは天才と呼ぶにふさわしい才能が続出した。ウィグナーは、しかし、本当の天才はノイマンだけと断じたわけで、ノイマンの頭脳が並外れて優れていたことを感じさせる。

 ノイマンの業績は、驚くほど広範囲にわたっている。彼が残した150編の論文の分野は、論理学、数学、物理学、化学、計算機科学、情報工学、生物学、気象学と自然科学を総ナメするだけでなく、経済学、政治学、社会学、心理学といった社会科学にも及んでいる。

 経済学への貢献は、いまやミクロ経済学に不可欠な「ゲーム理論」を生み出したことだ。ノーベル経済学賞受賞者のポール・サミュエルソンは「彼は少し顔を出しただけで、経済学を根本的に変えてしまった」と述べている(218ページ)。

数学を武器に「知を越境」

 ノイマンが、広範な分野で業績をあげることに成功し、当代の秀才たちに差をつけたのは、子供のころから天才ぶりを発揮した数学の才能だった。何しろ、17歳でブダペスト大学大学院数学科に大学を飛び越して合格している。同じ年に共著の論文が「ドイツ数学会紀要」に掲載された。タイトルは「ある最小多項式の零点の位置について」(39~44ページ)。何のこっちゃ。

 ノイマンは、ベルリン大学応用化学科にも合格し、大学院と大学の双方に籍を置いて学んだ。当時、化学ブームだったという。化学肥料が生産革命を起こしたからだ。ノイマンの父は、「数学では金が稼げない」と息子に化学を勧めた。ノイマンは、その後、治安が悪化するベルリンを出て、スイス連邦工科大学の応用化学科に編入し、22歳の時に大学と大学院を終え、前代未聞の「学士・博士」となった(57ページ)。

 数学の天才ぶりに話を戻すと、驚き、感に入るエピソードが随所に書かれている。そのひとつを紹介すると。

 ノイマンは、原爆開発の「マンハッタン計画」にも深くかかわっていたが、プリンストン高等研空所をはじめあちこちから引っ張りだこだったため、ロスアラモス国立研究所に常駐していたわけではなかった。ノイマンが研究所に現れると、「計算に行き詰っている人たちは、ノイマン博士の部屋の前で待機していて、出てきたらどっと取り囲んだものです」(研究者の証言、171ページ)という。ノイマンに教えを乞うためだ。

 学問的な業績として、すごそうなのが量子力学を数学的に基礎づけたことだ。ノイマンは1932年に「量子力学の数学的基礎」を発行したが、その功績について本書は次のように評している。当方には詳しい意味はわからないのでそのまま引用するが、論争に終止符を打つほどインパクトがあったようだ。

「量子力学をヒルベルト空間の連続幾何学で表現することによって、「行列力学」と「波動力学」の同等性を数学的に厳密に導いた点にある。この成果によって量子力学は「完成した」とみなされた」(87ページ)。

京都原爆投下を主張

 本書には「人間のフリをした悪魔」という副題が付いている。実際、そうも呼ばれるときもあったようだ。それは、ノイマンの卓越した能力を指してのこともあるが、著者は、ノイマンの思想の根底にある「科学優先主義」「非人道主義」「虚無主義」も意味するという(175ページ)。

 これは、ノイマンが日本への原爆投下に「科学者として科学的に可能だとわかっていることはやり遂げなければならない」、「我々が今生きている世界に責任を持つ必要はない」という姿勢で、投下に躊躇しなかったからだ。

 彼は、投下候補地となった「皇居、横浜、新潟、京都、広島、小倉」の中で、京都を強く主張した。歴史的文化的価値が高い地だから、その破壊は日本人の戦争意欲を完全に喪失させる効果があるというのがその理由だった。

 皇居を避けたのは、戦後の占領統治を見通してのことだった。皇居、政府を残せば、命令系統を維持できると考えたのである。目的を達成するに一番ふさわしい手段を選択する合理性こそ、ノイマンにとって最優先するべき価値観だったようだ。

 ノイマンは原爆投下をためらわなかっただけでなく、戦後もソ連に対して先制核攻撃を主張するような超タカ派だった。そうなったのは、ヒトラーに対して英仏が宥和的な姿勢を取ったことが彼をのさばらせてしまったという悔悟やマンハッタン計画に携わった学者が、実はソ連のスパイで原爆のデータをソ連に流していた事件があったからだという。

ノーベル賞学者が生涯劣等感

 現代のコンピュータは「ノイマン型」と呼ばれている。ノイマンは、いまのIT社会の原点のような人物だ。ITの源流をのぞいてみたくて読み始めたこの本だが、ノイマン自身はもちろん、ノイマン以外のエピソードも豊富で面白かった。よく調べており内容は濃いのだが、濃さを意識させない筆致で書かれ、ストレスなく読めた。

 冒頭で紹介したウィグナーは、ハンガリーのギムナジウムでノイマンの1年先輩。少年時代から友人同士だったが、生涯ノイマンに劣等感を抱いていたという。ノーベル賞学者が劣等感を抱くなんて凡人にはうかがい知れぬ天才たちの世界を垣間見せてくれるのも興味深かった。

 アインシュタインの名は知っていても、ノイマンを知る子供は少ないだろう。知名度ははるかに低い。53歳の若さで亡くなったため、もう少し長生きしていたら受賞したであろうノーベル賞の栄誉も授からなかった。ノイマンが残した業績がアインシュタインのそれに匹敵するものなのかは、素人には判断はつかない。しかし、もっと知られていい人物であることは、本書を読んでわかった。

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