「日本人論」と言うと、個人的に思い出す本

 テニスの大坂なおみ選手の活躍と人柄にたくさんの日本人がすっかり魅了されてしまった。同時に、大坂選手が、日本語は十分に話せないし、住んでいるのもアメリカで、国籍も日米ダブル保有という一方で、でも、お母さんは日本人で、祖父はいまでも北海道根室に住んでいるし、本人も幼いころ大阪に住んでいたことがあるという人生から、日本人論も盛んになっているようだ。

日本人論を考えた時に、いつも思い出す本がある。もう20年ほど前に読んだ、小熊英二氏の名著、『単一民族神話の起源』(新曜社)だ。その中に、紹介されている明治中期のエリートによる「日本人論」が、対外恐怖のあまりに、いま読めば滑稽なほどに見当はずれの論を展開していたからだ。まずは、とにかく論文の「トンデモ」な部分を読んでもらおう。

筆者は、のちに帝大哲学科教授となる井上哲次郎。ベルリン留学中の執筆で、1889年発行の『内地雑居論』に掲載された。井上は、来日外国人が日本人に混じって住むこと(内地雑居)に反対する(以下、<>は、『単一民族神話の起源』より引用)。

「外国人を日本人社会に入れるな」

<井上によれば、内地雑居は「日本全国の人老若貧富の別なく……欧米人と競争」させることである。だが、「日本人は智識に於ても、金力に於ても、体格に於ても、其他百般の事に於ても、多くは西洋人に劣る事なれば、競争上常に敗を取るは、必然の勢」だという。彼は「日本人」の身体測定数値をあげ、ヨーロッパ人はもちろん、「支那朝鮮二国の人よりも矮小」な「婦人小児」のような存在であり、内地雑居は「微弱なる童子」が「壮士と格闘」するようなものだとする(井上哲次郎『内地雑居論』一〇-一五頁)。>(『単一民族』39㌻)。

「日本人は、知力も体力も劣るし、金もないから外国人との競争に負ける」とは、ずいぶん身も蓋もない言いようだ。井上は教育勅語の公認解説書を書いた国体論者だったそうだが、その精神の基底には、こうした対外恐怖、対外拒否の感情が根を張っていたわけだ。

もちろん、いまから130年近くも前に書かれたものだから、開国して間もない日本が海外とのギャップに衝撃を受け、外国人を恐れても仕方ない面はある。

それに、井上ほど極端ではないにしても、こうした対外恐怖、対外拒否の心情は、程度の差はあれ、時代を超えていまも日本人の心に残ってそうではある。外国企業が日本に参入してくると、メディアは「黒船襲来」という被害者意識が先行する決まり文句で表現するのも、そうした心情の表れだろう。

井上は、帰化人による「日本乗っ取り」まで心配している。
<雑居した欧米人を帰化させてしまうと、「(欧米人が)日本人同様の資格を有し、政治上に於て日本人と競争し始めば…彼れ我れより優等なる智識を応用し、遂に政権を執らん」、「劣等人種が優等人種と雑居するときは其人口減少するの傾向を生じ、遂に優等人種に圧倒せらるるもの」>(同書40㌻)。

しかし、その後、日本がたどった歴史を見れば、甚だしい間違いだった。太平洋戦争に敗北し、米国を中心とする連合軍に占領されたが、ドイツも同じ経過をたどった。政権は奪われたが、井上が描いた欧米帰化人が「遂に政権を執らん」のイメージとは以て非なるものだろう。

そうなのだ、滑稽なのは、悲しいほどの対外恐怖の心情もさることながら、井上の見通しが大はずれだったことだ。外国人が日本人に混じって住むことに反対だった井上の世界観からは、日本人が国際結婚するなんて起こりえないことだったに違いない。しかし、現実は、大坂選手のような素晴らしいハーフが誕生した。

なぜ、間違ったかを考えた。「出世のため」とか個人的な理由は捨象して、独断かつ言葉足らずな段階だが、次の二つに絞った。

ひとつには、異質嫌い、グローバル嫌いの体質。同質社会の中でこじんまり生きていきたいという願望。もうひとつは、歴史がどこに向かっているのか、そのトレンドを検知できなかったこと。大人になれば、社会は個人の好き嫌いでは動いてくれないことはわかる。でも、自分の願望、価値判断に沿って社会は動いてもらいたいと考え、やがて動くはずと考える。それをやってしまったのではないか。

井上の論文は、「身体測定数値をあげ」てとあるので、身長や体重などのデータを並べて論じたのだろう。データ、事実には説得力がある。客観的に見える。でも、いまとなっては、文章そのものが見当はずれだったとわかっているので、その事実も空虚だ。

井上には論争相手がいた。『日本開化小史』の著者でエコノミストの田口卯吉である。井上の見通しは大はずれだったが、田口の見通しは、いまの日本に当てはめてみると半分当たり、半分はずれというところだろうか。次回に紹介しよう。