「日本人論」と言うと、個人的に思い出す本②

来日外国人が日本人に混じって住むこと(内地雑居)の是非をめぐる論争で、前回(Kobaちゃんの硬派ニュース)は、「日本人は知力、体力とも外国人に劣る」と救いのない日本人論を展開し、雑居に反対した井上哲次郎の論を紹介した。

今回は、井上とは逆の立場の田口卯吉の論を紹介する。前回、今回とも、小熊英二氏の名著『単一民族神話の起源』(新曜社)に全面的に依拠している。

明治時代にバリバリのグローバリスト

田口は、「大蔵省を退職後に在野で『東京経済雑誌』を主宰し、当時は福沢諭吉とならぶほどの高名をなしたエコノミストで、『日本開化小史』を執筆し雑誌『史海』を発行するなど、歴史にも通じていた。」(『単一民族』34㌻)という人物だが、その主張を読むと、明治初期の日本という時代環境にありながら驚くほどバリバリのグローバリストだ。

田口は、1879年に「内地雑居論」という論文を書いている。なんでそんなテーマの論文なのかというと、当時、日本では、外国人は横浜などの治外法権の居留地にのみ居住していた。日本にとっては、治外法権等を認めた不平等条約の改正が悲願だったが、改正すれば、外国人が自由に日本国内に住んだり土地取得を認めなければならない。それに反対する人もいて論争になっていたからだ。

田口は、人と人を結びつけるものは、人種が同じこととか貧富の階級ではなく、通商により利害が一致することだと考える。だから、外国人を隔離し通商を妨げる居留地制度は、「内外人民の葛藤をもたらす」という。葛藤というのは、たとえば、江戸時代の各藩の人間たちが相互に隔てられ反目しあっていたとことを指す。しかし、廃藩置県が行われ「同町同区に雑居するに及んで」同じ国民として統合された(同書35~36㌻)。ここでの「通商」は貿易と言うより、交易、ビジネスの意味合いだろう。

そして、「若し其れ人種の同一なるに存すと云はば日本人民と雖ども決して同一の人種同一の血統より成る者にあらず。古代にありては三韓支那の帰化あり、近代にありては和蘭波爾土瓦の遺子あり」という。

つまり、人種が同じだからこそ人間は結びつくのだという主張を認めたとしても、そもそも日本人には、ほかの人種の血がすでに混じっていると反論している。

小熊氏はこう解説する。「田口は、外国人の流入の先例を古代の朝鮮。中国系渡来人や江戸時代のオランダ人などにもとめ、日本は内地雑居以前から単一民族国家ではないと主張していたのである。」(同書37㌻)。

さらに、田口は将来の日本のモデルのひとつにアメリカ合衆国をあげる。1889年の彼の論考で、米国は外国からの資本と労働力の流入により急速に発展したと述べたうえで、「何ぞ区々たる(とるにたりない)血脈の異同を論ぜんや、余輩は外国人民の自由に我が内地に雑居し我が人口を増殖し我が物産を繁殖する事、米州合衆国の如くならんことを希望し決して恐れざるなり」とヒトの開放を全面支持する。

「区々たる血脈」というのだから、日本人だの、アメリカ人だの、中国人だのと人種の違いを云々するのはもうやめようや、と訴えているのは清々しい。

いまの時代から見て、こうした田口の見通し(希望も含まれているが)はどれだけ当たったのだろうか。「人間の結びつきは、人種ではなく利害」という田口の主張は、特に第二次大戦後、世界の潮流のひとつになったといえる。日本も国境を越えたビジネスを展開してきた。

しかし、田口の精神ほど人々は、身軽に人種意識から離れることはなかった。日本はアメリカほど異人種、民族に開放的でないし、そのアメリカでも人種差別は根強い。ただ、以前ほど人種の違いにこだわらないようになった。

田口の見通しは半分当たって、半分はずれというところだろうか。しかし、明治初期の時代に、グローバル化という歴史の大きなトレンドを見逃さなかったのは慧眼だ。