「iモード」とうとう終了の発表   なぜ、「iPhone」になれなかったのか

大ヒットした携帯電話サービス「iモード」は9月末にすでに新規受付を終了したが、サービス自体も2026年3月31日に終了させるとNTTドコモが先月29日、発表した(NHK)。ピーク時には4900万件の契約があったが、いまは764万件。後発のiPhoneに駆逐され、モバイルの風景は一変してしまった。

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先進的だったiモード

iモードは、携帯電話としては世界で初めてEメールやインターネットを利用できるようにした。サービス開始が1999年2月。iPhoneの米国での発売は実に8年も経ってからの2007年6月のことだ。

これだけタイムラグがあれば、iモードをiPhoneのようなスマートフォンに発展させることができたのではないか。そうすれば、NTTドコモと機器を製造するNEC、富士通などはいまのアップルのように世界に君臨できたのではないか--そう考えたくなる。

iモードの先進性は世界のIT業界からも注目されていた。グーグルのエリック・シュミットCEOは、iモード立ち上げの一人、夏野剛氏に、「日本の携帯電話からの検索の伸びは想像以上だ。これと同じような状況を世界中でつくりたい。ぜひ手伝ってほしい」と持ち掛けていた。2007年頃のことだ(SankeiBiz)。

ICTに真剣でなかった疑い

いい線まで行っていたのに、なぜコケてしまったのか。なぜ、世界に普及しなかったのか。大きな要因は、ドコモのICTに対する中途半端な姿勢だったように思える。ドワンゴの川上量生氏とiモード立ち上げメンバーの栗田穣崇氏の対談を見つけて、それをひしひしと感じた。6年前の2013年11月の対談だが、iモード開発の舞台裏が意外過ぎて面白い。そして、ため息をつきたくなる(4Gamer.net)。

栗田氏は、「絵文字」の生みの親として知られるが、iモードの開発当初は、NTTドコモの千葉支店窓口でポケベルや携帯電話を売っていた。準備スタッフの社内募集に手を上げ、採用された。

さぞやICTに詳しい人かと思いきや、そうではなかった。にもかかわらず、iモードサービス全体の仕様策定をまかされる。栗田氏の発言だ(1ページ目)。

「そうなんですよ……。夏野さんはともかく--当時のiモードチームには,HTML(Webページ作成言語)が分かる人間がほとんどいませんでしたから,そこの仕様策定が,まだ25~26歳のペーペーだった僕にいきなり振られたわけです。でも,その僕にしても,別にプログラムをやっていたわけでもなく,単に「パソコンに詳しい奴」程度のもので。そもそも「パソコンに詳しい」っていうのだって,実際はただゲームを遊んでいただけで,それ以上でもそれ以下でもないわけですよ」。栗田氏は、HTMLを一から勉強して仕様を策定する。

この発言を受けて、川上氏も驚いて、こう話している。
「日本の携帯コンテンツの歴史の裏舞台として,それはかなり衝撃的な事実なのでは(笑)。そんな始まり方だったの!?という。」

開発の始まりはそれでもよかったかもしれない。実際、iモードの通信がつながりにくくなるほど加入者が急増したのだから大成功だ。しかし、その後はもっと技術に力を入れるべきだったのではないか。対談のキモはここだ(4ページ目)。

「川上氏:亜流と本流って意味でいうとさ,GoogleやAppleでは,やっぱり本流が本気でiPhoneだったり,その周辺のサービスを作っているわけじゃないですか。両社には,コンピュータ・サイエンスの博士号を持っているような人がゴロゴロいて,そういう人達が日夜研鑽してサービス開発に従事している。
かたや日本では,千葉のドコモ支店の,唯一パソコンを使ったことがある人間が端末の仕様を決めて,方眼紙にドット絵を描いていたということですよね。
栗田氏:ですよねぇ……(苦笑)。」

ICTのパワーを見誤っていたのではないか。2000年前後の頃のことだ。日本経済は、不良債権の処理に苦しみ、企業の倒産、失業者が増えた時期で、企業は、ICTに資金と人を当てるゆとりはなかったかもしれないが、ドコモには余裕はあったはずだ。

iモードの限界

ドコモの姿勢という視点では、ITに詳しい小飼弾氏の見方が推測を促してくれる(BLOGOS)。

小飼氏が指摘しているのは、技術的な側面からのiモードの限界で、ネット素人にはちょっとわかりにくかった文章なのだが、要するに、iモードは自身でネットに接続する機能(TCP/IP)を持たず、ドコモのサーバーを経由しないと接続できないところに普及の難点あったらしい。

iモードに比べ、iPhoneは自らの力でネットに接続できる。小飼氏は、「この違いは実に大きい」と言う。なぜなら、「「ネットにどう繋ぐか」の主導権がどちらにあるかということなのだから。iPhoneでは、その主導権はiPhoneにある。だから3GでなくともWiFiでもいいし、実際WiFiの方が快適だ」。

「手のひらパソコン」になれなかったiモード

この問題、推測するに技術的なハードルというよりも、ドコモの意思に思える。Windows95も初期バージョンは、通信機能であるTCP/IPを搭載していなかった。ところが、思ったよりも早くネットが普及しそうなことに気付き、搭載を決めたというのだから、iモードにネット接続機能を持たせるのだって技術的に難しくないはずだ。だとすると、ドコモにはその気がなかったのだろう。

実際、夏野氏は、前述のシュミットCEOに協力を求められた時、「これはチャンスだ。シリコンバレーに100人くらい技術者を送って共同開発すべきだ。ドコモ携帯のOSをグーグル製にしよう」と社内で主張したが、実現しなかった(同上SankeiBiz)。

ドコモも国内市場だけで満足していたわけではなく、2002年ごろから海外の携帯電話サービス会社に対してiモードの技術と権利を供与し始めた。

しかし、軌道に乗らなかった。日本と海外での「ケータイ文化」の違いという不運な側面もあったという。iモードが国内で人気を呼んでいた2000年代前半、海外では、携帯電話は通話目的で利用するのが中心で、メールやネット検索はもっぱらパソコンが使われていた。この文化の違いが、海外でのiモード普及の壁になったというのだ(ウィキペディア)。

海外でもモバイル機器によるネット接続が当たり前になったのはiPhoneが登場してからだ。だから、「タイミングが悪かった。iモードの登場が早すぎた」とも言えそうだが、小飼氏の主張に従えば、運の悪さにすべてを帰するわけにいかない。

「iモードは、あくまで「ネットにもアクセスできる電話」。iPhoneは「電話もできるインターネット・ホスト」」と小飼氏が指摘するように、iPhoneは「手のひらに乗るパソコン」として登場したが、iモードは最後まで電話の域を出なかった。

夏野氏は、2014年12月のカンファレンスで、司会者から「要するになぜ世界をとれなかったのか」と問われ、こう答えている。

「それは簡単ですよ。孫(正義)さんが勘違いしてドコモを買収すれば良かったんですよね。孫さんがNTTを買収していたら良かったね。Appleに頼らないで世界に出ていったと思うんですよね」(logmeBiz)。

ICTに敏感な孫氏ならば、電話の世界から脱け出し、iモードをさらに発展させていた可能性は高い。舵を取るトップ次第だった。

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